シラートを見に行こうとして、駅まで行って、ホームで電車を待ってる間にチケットを取ろうと思ったら完売だったので、家に戻った。入場料、160円。これだから映画館はなー。映画好きな人ほど、やはり映画館で見るのが一番よい的なことを言うが、俺はそうは思わないですよ。コンテンツに対する姿勢、コンディションが整っていることが大切と思っているので、そこに対して映画館と家とどっちが寄与するかというと、ケースバイケース。個人的には、映画はあずさで見るのが一番楽しめる。
シラートを見に行こうとして、駅まで行って、ホームで電車を待ってる間にチケットを取ろうと思ったら完売だったので、家に戻った。入場料、160円。これだから映画館はなー。映画好きな人ほど、やはり映画館で見るのが一番よい的なことを言うが、俺はそうは思わないですよ。コンテンツに対する姿勢、コンディションが整っていることが大切と思っているので、そこに対して映画館と家とどっちが寄与するかというと、ケースバイケース。個人的には、映画はあずさで見るのが一番楽しめる。
サッカー、この特殊なシーズンラストマッチ、DAZNで観戦。自分の話だが、フワッと見はじめて、途中眠くなったりして、フワッと負けて終わってしまった。そういう最後もある。去年までの、年末より少し早く終わって、年明けから少し経ってからはじまるったいうのが、情緒の面で結構好きだった。特に、シーズンラストの、今年も終わりか、の前に、今シーズンも終わりか、が来る、センチメンタル感、世の中のどこよりも俺たちが一番早くセンチメンタルになってる感じが今となっては良かった気がする。これからどうなる。
妻が、妻の古くからの友達の話をしてくれて、本当に面白すぎて今年一番笑った。ツボって笑いすぎてお腹痛くなって、最終的には涙が出てきた。今年一番どころか、笑いすぎて涙が出たのって記憶ないかも、出るんだ。マジの:rolling_on_the_floor_laughing: 状態。
これマジでいい。LP注文しちゃった。タワレコ、ディスクユニオン、HMVで、値段が全然違うのね、普段はユニオンで買うことが多いけど、1000円ぐらい違うからタワレコで買った。
最近、リスニングライフを充実させるために、i am rockin onというWebサイトを作った。俺が信頼しているメディアの、信頼できるチョイスをピックアップしている。RSS目で見て人力でやっていたことを自動化しただけだが...直近1ヶ月のアルバムから1枚をランダムで選んでもらうセレクター機能というものを実装した。レゲエ文化では、DJはマイクを持ってトースティングする人で、レコードをかける人はセレクターと言うらしい(AI調べ)。この機能により、いい出会いがあったりする。AIの力を得た俺、ランダムに選んでくれるソフトウェアばっかり作っている。masuda forever, shine, i am rockin on...。我ながらどれも素晴らしい、というか、ランダム性っていうものは素晴らしい。完全ランダムではなくて、ちょっとチューニングされたランダム、母集団を絞るっていうのがポイントだと思う。キュレーテッドランダムネス、これからはキュレーテッドランダムネスの時代ですよ。キュレーテッドランダムネス。気に入った。(TaiTanが奇奇怪怪でプレミアムソリタリーとかそういうダサカッコいい横文字言葉を無理やり作るノリを真似している。)

いいねをさらすのはマナー違反と承知しつつ、ここが場末のボルグだということとネガティブな意味ではないということをもってエクスキューズにしつつ、言質、もとい、いいね質(読み:いいねち)を得たので晒しておこう

今週は他にも、阿部寛のホームページオマージュと思われるホームページをミネタがカタカタしていて、インターネットサブカルキッズの俺を喜ばせてきている。
昼、近所の、就労支援施設併設カフェ、つむぎカフェというところに行ってみた

手話サークルの友人が「最近働きはじめたから来てー」と毎回宣伝していたのがきっかけ。発達障害的な方が従業員として働いているカフェで、その友人もなんらかの発達障害を抱えているのかな?と予想している(ちゃんと聞いたことはない)。従業員が奇声を発していたり、なにかもので壁を叩いていたりと騒がしい空間だが、不思議と落ち着く。手話の集まりで、ろう者が多くいる場所にいるときも、たまに感じる安心感がある。身も蓋もない言い方をすると、俺は障害者が集まっている場所にいると安心する感覚がある気がする。社会に受け入れられない人がいていい場所、受け入れられる場所っていうことが、自分もいて安心する、そういう場所があるという実感があるのかもしれないし、俺はなんでかわからないが、おそらくほぼ健常者なわけだけど、社会に受け入れられていない感覚をなぜかうっすらと抱き続けていて、こういってはなんだが、ろう者や発達障害の人たちに対して、シンパシー、仲間意識みたいなものがあるような気がする、手話の勉強をはじめてから、たまにそんなことを思っている。向こうからしたら仲間なんてとんでもないやめてくれという感じかもしれないから大っぴらには言わないが、有害にならない程度に自分の中で言語化しておくぶんには、仕方ないだろう。というようなことを、帰りに自転車をこぎながら考えた。