AI、寝起きに「なんかやって」の六文字だけ与える使い方をすることも多い。「動け」ボタンさえあればいい。もうちょっと工夫してみて、最近は、「既存の価値観にとらわれずに自由になんかやって」と言っていたら、めちゃくちゃ既存のものをパクりつつちょっと面白い機能を作ってくれた。
映画や小説をもっと読みたい、そういう趣味があることにある種の憧れがある人は一定数いるかと思われるが、そういう趣味の最初のハードルは選ぶこと、続ける障壁も選ぶことにある。特に映画は、2時間ぐらいで作品が終わってしまうので、大体毎回、選ぶ必要がある。ゲームがめちゃくちゃ趣味として広まったのは、ひとつのゲームをめちゃくちゃ長時間遊ばせることによって、次に何やるか選ぶっていうプロセスを少なくしたことにある。趣味はゲームって人も、ほとんどエペばっかりやってるとか、モンハンばかりとか、そういう人の割合がそれなりだ。選ぶっていう障壁をクリアすると、かなり趣味として定着して人生が豊かになる。と、この2,3年ぐらい、映画を超ランダムに見続けた俺は思った。と、ここまで、皿を洗いながら文章がなんとなく頭に流れてきていて、風呂でそれを転写している。
> 試合は負け。
一個前のボルグ。実際は引き分けでした。今、最寄り駅について歩きスマホしながらさっき書いたやつを読んだら、「いや引き分けでしょ」とセルフツッコミした。勢い余って負けたぐらいのメンタルになっていたみたい。
ナイトゲームは飯食うタイミングが難しい。早めに着いて、ロックカレー食べたいなと思っていたが、出店がなくて残念。試合が終わると駅までダッシュで、電車に走って乗る感じなので、ハーフタイムになんか食うか…
フェアプレー宣言。子供がスタジアムからの視線、圧に耐え切れず、早々に泣き始めてしまい、父親の肩に顔をうずめる。父親が代わりに宣言をした。開幕戦でフェアプレー宣言を見たら涙がちょちょ切れるっていうルーティン的な生理現象があるのだが、今回、自分の子供の頃のことを思い出して、生理現象にもらい泣きが重なってしまった。俺も保育園の入園式、圧に耐えきれずに泣いて逃げ出した記憶が残っているので、わかるぞ。
ハーフタイムにおこたまと唐揚げを買って補給。試合は負け。宮崎強かった。前半途中、20分から40分ぐらいだと思うが(広い)、セイゴウか誰かが自陣から相手を交わしつつ持ち上がり、さとかずにボールをあずけ、さとかずが右アウトサイドでユキトに出したシーンにしびれました。
試合終了後最初のバスに乗りたいので、アディショナルタイムの途中でスタジアムを後にする。すると、めちゃくちゃ道が空いていて、15分ぐらいで駅に着く。もしかして、最終のあずさが遅れてたら、乗れるんじゃない?と思ったらビンゴで、10分ぐらい遅れていたので、各駅で帰る予定があずさに乗れることになった。お盆の終わりで帰京の雰囲気、おそらく指定席は満席だろうと、12号車、最後尾のデッキにシートを広げて地面に体育座りの基本スタイルを取って、タブレットで映画を見始める。「本日満席となっており…」的なアナウンスが流れる。ほどなく、後ろの車掌室から車掌が来たので、特急券を買う。念のため、「グリーン席もいっぱいですか?」と聞くと、なんと一席だけ空いているとのことなので、買わせてもらい、今特急あずさのグリーン車に座ってこれを書いている。僥倖。車掌は12号車から来るので、12号車のデッキに陣取らなければ、他のデッキの誰かにこのグリーン席が渡っていただろう。各駅で帰る予定だったが、幸運が重なってありがたい。ナイトゲームは18:30キックオフをお願いしたいところ。
居間にいたら、洗面所から妻の「ダメだぁー」という、なにかを諦めた声が聞こえて面白かった。
AIによるサイバー攻撃がなんだ、ミュートスがなんだと騒いでた一方で、日本の首相が靖国神社に参拝するかどうかというのが国際的な関心事となり、そこで歴史が分岐しうるっていうのが面白い。よくよく考えてみるとすごく宗教的というか観念的、形而上学的だ。この2、3年で映画をたくさん見たりしてみたけど世界と人間への理解はまったく進まない、ぜんぜんわからない。参拝する意味もしない意味もわからないし、それで参拝者と死者以外のなにかが変わる意味もわからない。