yuta25のボルグ

最近は声日記を最低限の録音ができるようになって、ちょくちょくやっています。そうするとここに書くことがあんまりなくなってしまいそうに思うが、録音しきれなかったこととして、今日は吉祥寺にも東小金井にも、町にものすごい人が多かったということ、妻と吉祥寺に行って、別々の映画館に行って別々の映画を観た後、合流して一緒にランチを食べた、ということを書いておこう。妻はズートピア2をオデオンで見たのだが、鑑賞体験としては散々だったらしくて可哀想、映画館に映画観に行くのってそういうことがあるので、ギャンブルなんだよなあ、カキを食べることと似ている。

新年一発目の手話。佐沢静江さんの講演会に行った。ろう文化とデフコミュニティについて。あらためて気づいたこととして、文化があまりにも違うところは違いすぎて、面白いなと(小並感)。ろう協(小金井市聴覚障害者協会)が主催の、通年講習会受講者に向けた講演会だったのだが、テレビにも出てるような有名人のエキサイティングな講演なので、もっと近隣の人たちにも広く来てもらえばいいのにとか思っちゃう。こういう体験が無料でできるっていうのは税金ありがとうという気持ちにもなる。

AIコーディングエージェントがかなり強くなってきて、「人間がボトルネック」、このフレーズが当たり前のように使われるようになって久しい。ボトルネックになりたくない!とか、「老害って言われたくない!」みたいに思っていた時期もあったが、最近は、ボトルネックをやってこそ人間みたいな気持ちが芽生えつつある。でっかく丸めて合理性なるものに対峙して、ボトルネックにならないならば、人類がいる合理性ってないから滅亡しましょうねということになりませんか?俺はゆるい反出生主義者なので、ゆるやかに人類および苦痛を感じる生物が滅亡していくことを理想としているものの、一方では多様性ラヴァーでもある。自死などせずにむしろ進んで長生きするように努め、親しい人たちにも時にはそのように働きかけることによって、世界の多様性が少しでも長く続くことにベットしている、というか供与している、と思う。多様性は合理的ではない、合理的なのは全滅だから。多様性が好きだから、合理性に反してでも、それを保持しようとしていると言っていいだろう。一兆倍ぐらいは大げさだが、巨大化して解釈すればそうなる。そう捉えたならば、合理性の敵としての「ボトルネック」という単語に対して、妙な親近感が湧いてくるというものだ。全員かかってこい、俺がボトルネックとして立ちはだかるぜ、ぐらいの気概を持ってやっていきたい。

長々と書いたが、要はこういうことが言いたかった。

今日も声日記なるものを録音してみたんだが、失敗…。マイクがブルートゥースでつながりっぱなしのShockzになっていたみたいだ。2日連続で虚空に向かって自己紹介をして、だんだん自己紹介がうまくなってきた気がする。

声日記を録音してみた。仰向けになって、LISTENをブラウザで開いて、お腹にスマホを置いて録音を始めた。二十分ぐらい録って、そろそろ終わりにしようかなとスマホを拾い上げたら、スリープ状態になっており、指紋で解除すると、録音が今まで続いていたような感じではあったが、聞いてみると、やはり最初の3分ぐらいでスリープになったのか、そこからは無音が続いていた。虚空に向かって二十分間、自己紹介をした日になった

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