yuta25のボルグ

AIコーディングエージェントがかなり強くなってきて、「人間がボトルネック」、このフレーズが当たり前のように使われるようになって久しい。ボトルネックになりたくない!とか、「老害って言われたくない!」みたいに思っていた時期もあったが、最近は、ボトルネックをやってこそ人間みたいな気持ちが芽生えつつある。でっかく丸めて合理性なるものに対峙して、ボトルネックにならないならば、人類がいる合理性ってないから滅亡しましょうねということになりませんか?俺はゆるい反出生主義者なので、ゆるやかに人類および苦痛を感じる生物が滅亡していくことを理想としているものの、一方では多様性ラヴァーでもある。自死などせずにむしろ進んで長生きするように努め、親しい人たちにも時にはそのように働きかけることによって、世界の多様性が少しでも長く続くことにベットしている、というか供与している、と思う。多様性は合理的ではない、合理的なのは全滅だから。多様性が好きだから、合理性に反してでも、それを保持しようとしていると言っていいだろう。一兆倍ぐらいは大げさだが、巨大化して解釈すればそうなる。そう捉えたならば、合理性の敵としての「ボトルネック」という単語に対して、妙な親近感が湧いてくるというものだ。全員かかってこい、俺がボトルネックとして立ちはだかるぜ、ぐらいの気概を持ってやっていきたい。

長々と書いたが、要はこういうことが言いたかった。

今日も声日記なるものを録音してみたんだが、失敗…。マイクがブルートゥースでつながりっぱなしのShockzになっていたみたいだ。2日連続で虚空に向かって自己紹介をして、だんだん自己紹介がうまくなってきた気がする。

声日記を録音してみた。仰向けになって、LISTENをブラウザで開いて、お腹にスマホを置いて録音を始めた。二十分ぐらい録って、そろそろ終わりにしようかなとスマホを拾い上げたら、スリープ状態になっており、指紋で解除すると、録音が今まで続いていたような感じではあったが、聞いてみると、やはり最初の3分ぐらいでスリープになったのか、そこからは無音が続いていた。虚空に向かって二十分間、自己紹介をした日になった

巷ではこの2年ほど、考察ブーム、言語化ブームがあり、非言語化、反言語化が俺にとってキーになってきている。巷で言われている言語化は、ボディランゲージなどは含まれていないので、よりスコープを狭めて正確に言えば「テキスト化」である。テキスト化がもてはやされているので、抗わないといけない。反テキスト化、肉体化の流れに与していく。それが、オーセンティシティ、まじこい、の流れだ。拡大解釈すると、ポッドキャストの流れは反テキスト化の一部といえる。アンチテキスト運動を起こさねばならない。ただ、ゲームの攻略やレシピ、「これをみておいてください」と資料を渡すみたいにYouTubeのリンクを送ってくるやつ、テキストでくれ。YouTubeは字幕がほぼ必須なことからもわかるように、「アホでも読めるテキスト」として存在していて、爆発的に受容されているので、それもアンチしていきたい。

帰省。数年ぶりに家族揃う。兄と弟の甥たちにお年玉をやる。兄と弟はそれぞれやったりもらったりして、プラマイでプラスになっていて、俺だけがマイナスになっていることに気づいて、世の中不公平だなとあらためて思う。

兄と弟はそれぞれ家に帰って、俺は両親と3人でサイゼリヤに行って豪遊。親のおごりでありがたい。母親が、エスカルゴがおいしいと勧めてくるので食べてみたが、変にクリーミーでグニャグニャで、俺はあんまりだったが、エスカルゴ以外は美味しかった。

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