俺は随分と、この記事に対して「騙されないぞ」という警戒心が働いている…一昔前の俺だったら「さすがけんすうさん!わかりやすくてロジカル!」と膝を打っていたところだが…。そもそも、「その人、悪人ですよ」と教えてくれたら、まず「うわ、知らなかった、ありがとうございます」と感謝した上で後味が悪くなって然るべきだろう。俺は軽はずみにだれかと仲良くなったり、なにかをシェアしては、後で後味が悪くなった経験をたくさんしてきたしこれからも繰り返しそうだが…そういう反省を無視して、「その人悪人ですよ」と教えてくれる人の行為を「私刑」扱いして巨大化しているというのが1つ目の詭弁である(キリッ
2つ目の詭弁は以下の文。 「この方向で物事が進むと、僕とか落合さんみたいに「フォロワーがたくさんいて、人脈があって、お金も使えるタイプ」こそが圧倒的に有利になってしまいます。攻撃するリソースが豊富だからです。」 これはどう考えても嘘で、お金も余裕もなければ裁判なんかできるわけないので、ネット世論に訴えるというのはまさに弱者に残された、リソースがなくても実行しうる数少ない手段なので、「後味悪くする作戦」が普及したときに困るのは間違いなく「持てるもの」(持たざるもの、の対義語)である。どこからどう見ても「保育園落ちた日本死ね」の一文が国会で読まれた事件は、ネットの可能性を示しただろう、地位、財産、属性に関係なくリソースなんかPCのキーボード、スマホのフリック入力さえあれば匿名な誰かの声は国会に届きうる、そういうツール、技、作戦、ムーブメントを沈静化させようというのは「持てるもの」のポジショントークに他ならないだろう(キリッ
ノリウツギのノゾム、最後の一花を切り落とす前に撮った遺影。復活するかもしれないので、引き続きノゾムと呼んでたまに水やりをするつもり。