AIコーディングエージェントがかなり強くなってきて、「人間がボトルネック」、このフレーズが当たり前のように使われるようになって久しい。ボトルネックになりたくない!とか、「老害って言われたくない!」みたいに思っていた時期もあったが、最近は、ボトルネックをやってこそ人間みたいな気持ちが芽生えつつある。でっかく丸めて合理性なるものに対峙して、ボトルネックにならないならば、人類がいる合理性ってないから滅亡しましょうねということになりませんか?俺はゆるい反出生主義者なので、ゆるやかに人類および苦痛を感じる生物が滅亡していくことを理想としているものの、一方では多様性ラヴァーでもある。自死などせずにむしろ進んで長生きするように努め、親しい人たちにも時にはそのように働きかけることによって、世界の多様性が少しでも長く続くことにベットしている、というか供与している、と思う。多様性は合理的ではない、合理的なのは全滅だから。多様性が好きだから、合理性に反してでも、それを保持しようとしていると言っていいだろう。一兆倍ぐらいは大げさだが、巨大化して解釈すればそうなる。そう捉えたならば、合理性の敵としての「ボトルネック」という単語に対して、妙な親近感が湧いてくるというものだ。全員かかってこい、俺がボトルネックとして立ちはだかるぜ、ぐらいの気概を持ってやっていきたい。
長々と書いたが、要はこういうことが言いたかった。