yuta25のボルグ

木曜日、手話サークル昼の部へ初参加。人数が夜の4倍ぐらいいる。哺乳瓶で赤ちゃんにミルクを与えながら参加してる人がいた。何か感想を言う場面で、ミルクをあげながらもう片方の片手で手話をしずらそうにしていたところで、スッと隣の人が代わりに哺乳瓶に手を添えてあげていて、スマート、共助感を感じた。自分だったらちょっと難しいだろう。根っからの気の利かなさ(自認ミスター「立ってるだけなら帰っていいよ」)もあるし、他人の赤ちゃんの哺乳瓶を持つっていうとこへのハードルがだいぶある気がする。来週も参加したい。

「法を守ってる場合ではない」ということは世の中たくさんあると思う。「遵法してる場合じゃねーぞ」みたいな。去年、ろうコミュニティの交流会で、「自転車で来たから今日はノンアルです」と言った時に、えらく褒められたことがあり、またそれとは別の日に、ベロベロに酔っ払ったろう者が自転車を漕いで帰っていくところを見たことがある。その時は、世代的な感覚の違いでちょっとゆるいのかなぐらいに思っていたのだけど、最近、ろう者の自動車運転免許の運動の話をいつしか軽く見聞きしたのもあり、「ろう社会では一般社会よりも法律のプライオリティが低いのではないか」という仮説を考えている。自動車運転免許の運動とは、昔はろう者は免許を取れない法律だったが、生活のためにみんな無免許で乗っていて、裁判で運動を起こして、ろう者も免許が取れるように法律が変わったという話だ。ろう者にとって、法律なんか守っていたら生活ができない、そういうことが大小積み重なっていて、「権利は空から降ってこない」みたいな歴史があるから、一般社会とはちょっと感覚のズレがあるのではないか、(そして、俺自身も人と比べて遵法意識が低めな気がするから、居心地がいいのかもしれない)という仮説だ。自転車の飲酒運転は危険だからやめたほうがいいと思うが、我々の生活が脅かされるようなことがあれば、遵法してる場合ではなくなるようなことが、今後あるかもしれない、という心づもりではいようかな、みたいな気持ちをたまに感じる。「ホローコーストやアパルトヘイトは合法だった」というフレーズとセットで。

他のメディアと比べてポッドキャストの良いところっていうのを今まで散々聞いてきたが、ふと、エロコンテンツが入りづらいっていうのが、大きいんじゃないかと思った。これは言ってる人あんまり聞いたことないのだが、どうでしょう。ネット広告っていうのもエロに密接な関係があるので、エロが生きづらい場所では広告も繁殖しづらいというような相互作用とか滅菌効果みたいな側面がある気がする。エロというか、欲望全般に対して、音声コンテンツは訴求力がないというか、熱伝導率が低い感じ。なので、この滅菌効果を脅かしてきているビデオポッドキャストの潮流に対してはファイティングポーズをとっていきたい。